sousensya

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明けましておめでとうございます

1人の力は小さいけれど、1人の人がコツコツとやり続けることで、成して来るものはあるし、達成して出来上がるものもある。NPOの活動を通して、何かとキーワードで出てくる「きずな」や「つながり」人間関係は全て距離感のとり方に尽きます。自分が何かをやりたいと思ってやっていくうちに、どうしても経験することになる人付き合い。改めて感じるのですが、人って何かを「達成したい」と思ったら、苦手でも「人付き合いさえこなしていく」自分が「何をしたいのか」模索して、やっていくとどこかしらに辿り着いている。自分の好きなことに「時間とお金をかける」『街活』既にじわっとこんなことになってます。おじいさんと孫くらい年の違う全くの他人同士が同じ空間にいたり、(ファミレスで同じ空間とは話しが別)趣味の合う10歳違いが出会って、同じイベントに一緒に出かけたりする。(顔を合わせただけでは一緒に出かけるまでにはならないよね)地域別に『街活』があれば、A地域×B地域で交流が出来たり、イベントにお互いが参加しあったり出来る。「きずな」や「つながり」を掛け声だけでなく、実像として作っていく『街活』地域における人間関係を再構築出来るかもしれない、と思ってます。

子育ても多種多様、、、ですよね?

なんとも世知辛い世の中になったものだと嘆いたところで現状が変わるわけじゃなし、、、ですよね。私からみればだいぶお若いママタレさんの記事。4人をワンオペ育児だった(当時はそういう言葉がなかったので、ここでは自発的に使わせていただきたいと思います)私は、非常にうなずいてしまう。ここで、ああ、ただの自分の子育て自慢のマウント取りか、と思った方は回れ右でお願いします。遊ばせる場所も困るし、場合によっては御呼ばれも敬遠される4人育児でした。もちろん店に入る際にお断りにあったことも何回かある。そのうち行かなくなりましたが。上の子が感染病にかかると下の子の予防接種が問診でひっかかり、3回目にしてやっと受けれたり、、、。普段が目の回るような忙しさだから、出かけるのは時間との勝負。やっとの思いで、出かけたのに「また次に来てください」とか言われると私何か悪いことしました?と、もう泣きつきたくなるような気持ちになったものです。車がない、というのもすごいハンデだったかも。駅で、4人目がお腹にいて、荷物満載で子どもが乗っていない乳母車を階段で上がったときは、見ず知らずの方が、持って行ってくれましたね。長男に次男と3人目の子の手をつないで階段を上がらせた。長男といっても当時は未就学児童なわけで、3人目の子はまだ2歳になってなかったなあ。幼児が幼児の手をひいてる姿に思わず声をかけてくれたんだろうな。「お子さんの手を繋いで上げてください」って言って、その人は乳母車を持ってくれたのね。普段から1人でやる癖がついていたので、こっちがびっくりしてしまったけど、今思い出してもポロポロ泣いてしまう。本当に有り難かったの。今でも勇気出してくれてありがとう!有り難かった経験があるから、乗り切れる子育ての事情がある。今一度、規則は一体誰のために、何のためにあるのか、考え直してもいいんじゃないかな。本当は「臨機応変」に対応する体制や気風があれば対応出来る範囲はあるはず。そこを「責任は誰が取る」目線になると話しは急に停滞する。役所が負うべき責任と、自分が出来る範囲と、この記事を読んだ方は「小さな親切」を身内でも他人でも出来るようになって欲しいな。人間って育てるのにものすごく手間のかかる生き物なんです。創泉舎の [ 街活 ] では多種多様な部活を応援します。ママのうちに出来る部活でもいいし、少し時間を作って自分が「部活」するとしたらどんなことをしたいですか?私は育児の間も、語学やお稽古に行ったりしてましたが、もう少し「人と過ごす」内容でも良かったんじゃないかな、と今なら思います。気の合った人と話すのが一番のストレス発散になるんじゃないかなと思うから。

言いたいことを言う

「言いたいことを言う」とケンカになる。らしいです。相手の気持ちや立場を考えず、「言いたいこと」をいうとなりそうですね。親、兄弟なら「ケンカ」しても、まだ仲直りする機会がありますが、「他人」となるとお互いがそっぽを向いてしまうとそれまでです。きっとどこかで出会っても「顔を背けあう仲」になるんでしょうか。「言いたいこと」を言う、って結構技術がいるのかもしれません。「時と場所」を選び、「言い出すタイミング」を選び、「言う相手」を選び、おそらく「気力と体力」も要りそうです。考えすぎると「疲れて」しまって、辞めてしまいそうです。人間ってそうすぐに、器用になれるものではありません。少しづつの経験を踏んで、自分を磨いてこそ、手に入れる結果が出てきます。私は「ケンカ」することになるのも良いんじゃない?と思っています。でも、「ケンカが好き」何ではなく、そのあとにある「自分への気付き」がある場合は「やってみればいい」と思います。心から発した言葉は「生きています」「言い方を間違えた」とか、あとで後悔したり反省したり、すればいい。子どものうちのたわいないケンカはやっといた方が良いと思うし、反抗期の親への反抗的な態度もやっといた方が良い。社会に出たら、そういうのは「良くないんだよ」と思える大人になって欲しいな。「言いたいことを言う」のは、子どもの特権だとしたら、「子ども大人」が増えた今の時代は「経験値の低さ」が、「でたらめ」を横行させてしまうんじゃないだろうか。交通や電話がいくら便利になったって、生身の人間の中身は変われない。いつだって、自然を観たら晴れやかな気持ちになるように出来てるんだから。

親切だけど不親切

これは少々の自戒を込めたタイトルなのですが、私自身は「人のために何かする」のは「自分が出来る範囲ならやってもいい」と思うタイプです。そのせいか、学生のときから友人や兄弟から相談をよく受けたし、何かと知らないうちに「相談事」を受けてることが多いです。中学のときには、ちょっと助けたのがきっかけで、先生から、「いじめられてた子の面倒をみてやって欲しい」とまでいわれた経験があります。いじめられるきっかけや原因はいろいろあったんでしょう。休み時間ずっと横にくっついて来るその子を邪険には出来ないけど、こちらも授業の合間の休み時間はゆっくりしたかったし、ボケッとして休憩したかったり、一番は、他人にずっとくっつくことに本人が何とも思わないことに驚きました。プライバシーがなく困り果てた私は、具体的に◯回に1回は「1人にしておいて欲しい」と本人に説明して、休息時間を取った経験があります。本人は理解はしてくれなかったけど、このときは強行した。でないと自分が持たなくなるから。先生は、対処の仕様がなくて困っていたところに「良い子が現れたわ!」てな感じで、さっさと「問題解決」をしたかったみたいですが、正直なところ「私の人権はどうなったか、問題にならんのか?」と、中学生ながら先生の対応にひどく疑問を感じたものです。たとえ親切心や良かれと思って行動に出たことでも、人によって、「当たり前は違う」し、実際には「考え方は違うことがわかってないことが多い」のが現実です。学生時代から、音楽を聴き、映画を観て、漫画を読み、絵を描くことには少し真剣な暮らしが基本スタイルの私でしたので、そういう時間が全く取れない子育て時はものすごいストレスでした。(今回は、子育て時の話しは脇に置くとして)「こういう生活が当たり前」で来た自分にとって、「趣味がない」という一言を聞くと、「マジで?!」「有り得ない!!!!!」と声に出して反応してしまいそうになります。だから、「街活」として「何か部活始めませんか?」というとき、「趣味がある」ことが前提で「部活」しようと声をかけてしまうのですが、実際には「趣味ないから」といって断られることもあり、そういうときには「自分の当たり前」が通用しなくて、次の言葉が出ず「そうですか」と引き下がってしまう。本当は、「趣味」を持つだけが目的ではなく、「井戸端交流会」でまだ見ぬ知らない人とも出会うのも「楽しみ」として味わって頂きたいのですけどねえ。恋愛以外で「見ず知らずの人と関わる」って社会の仕組みにないんです。「会社」や「サークル」、「自治会」でも関係性をつくるのは非常に難しいと思います。「街活」と「井戸端交流会」はセットでも単体でも利用出来て、「見ず知らずの人のリアルな意見が聞ける」もしくは「自分が言える場」というのが保証されてるんですね。ほんの少し喋ったくらいでどういう人かって、わかるときもあるかもしれないけど、そう簡単でもない。だから、たっぷり時間を取ってるんですが、「生きてる間の貴重な時間を、有益に使う」って「人と会話する」こういうことじゃないのかな?と私は思っています。ここまで即説明出来ないのが「不親切」かどうか、疑問ではありますが、「大きなお世話」で「おせっかい」であることは間違いありません。